AIと創作とメイドさんアンドロイド

最近流行りのmidjourneyについて考えてたら140字に収まらなかったメモ。

 

AIと創作

創作的なことをするAIの、紹介ではなく作ったもののツイートを最近割と見かける。「何かを作れるAI」の方に興味はあるものの「AIが作った何か」の方にあんまり作品としての魅力が感じられなくて、もしかすると私は作品自体のことも作った人間ありきで好きなのかも。

 

人間製の何かにおける「作った人間」というのはAI製の何かでは当然「AI」に当たるわけだけど、そう考えるとなぜ人間の場合は作者も作品も好きなのにAIの場合は作品の方にあまり興味が持てないのか疑問になってくる。ふんわりと考えていたのは

1. 意思の存在

2. 好意の質の違い

3. その他なんか嫌

あたり。

 

1 については言わずもがな、私が好きなのは作者の意思が反映された絵であると仮定した上でAIに意思はないのでという話。でも別に作者知らなくても良い絵は良い絵だし、それにAIをただの出力装置と見るなら、自分以外の人間をそう見ることもできる。(意思がないことが確定しているのと、意思がないかもしれない、は全然違うけど)

 

2 は、AIに対する好意は別に作者・クリエイターとしての好きではないのではという考え、AI を作った人間と作品であるAIが好きなだけとか。テクノロジー好きなだけとか。これに関してはまあありそう。

 

3 は、知らない人間の思想が穢れなきAIさんに混ざってて嫌だとか、高度なコラージュの権利はどうなんだとか、AI美空ひばりは怒られるけど絵ならイタコしてええんかとか、そっち方面の感情論。あら捜しが得意すぎて嫌いな理由探しみたいになってきたからやめ。私は全くもってこんなこと思ってません。

 

色々考えているうちに多くの人間とAIの違いで4つめに思い浮かんだのは、作品の数。AIは同じ作者(直接の作業者)の作品がめちゃめちゃ多い。故に全部まとめて見た時のすごさはあっても作品一つ一つへの受け取り手の印象が小さいし、自分でも(テクニックがどうとかはあれど)作らせることができてしまう。

 

個人的な結論としては最後の「作品の数」「自分でも作らせることができる」がでかいんじゃないかと思っている。人間でもpixivで大量に似たような画風が検索結果に出てくるとそれぞれの絵の印象が薄いのと似ているかも。

 

理由探しはここまでにして将来的にAIにしてほしいことの話をすると、お絵描きの添削とかして欲しいな。絵柄とかは難しいだろうけどバランスとか骨格とか。

あとは、メイドさんアンドロイドの頭脳。

 

メイドさんアンドロイド

AIへの好意について考えていたけれど、こんな状態で発明家の親戚からメイドさんアンドロイドが送られてきたとき、果たして好意的な感情を抱くことができるのだろうか。

 

1 的に考えると意思がないことが確定しているわけだし、そのメイドさんアンドロイドがドジをしたり萌え萌えオムライスでも作ってきた時にはどういう気持ちになればいいんだろ。AIの描いた絵との差別化が必要。

 

2 的に言えば博士の作品としての好意になるわけだし、4も加えれば量産型の作品にもなってしまう。3 はたぶん美少女だから嫌いにならないんじゃないかと思うけど。

 

今まで漠然とメイドさんアンドロイドが欲しいと言っていたけど、このあたりも固めておかないと素直に喜べないかもしれない。作る時に火星の石を混ぜたらなぜか自我を持っちゃったとか。天才の親戚が特別にうちだけに送ってきたとか。

 

クリスマスまでにはちゃんと考えておこうと思う。

 

終わり